本稿は『夢十夜』を対象とし、テクスト分析、対比、比較などの研究方法を使い、『夢十夜』における中国古典の出典を究明し、漱石の隠喩を解釈してみようと思われる。
近代日本の国民大作家である漱石は漢学の素養を持っている。「夏目漱石と中国文学との関係は有機的な全体であり、そして西洋文化と衝突し、融合し、多彩で複雑な変化を育んでいる。要するに、夏目漱石は中国伝統文化である儒教、道教、仏の思想をすべて吸収し、ある場合には儒教の観点を採用し、ある場合には老荘哲学を直接に引用する」 と孟慶枢は思っている。そして夏目漱石の文化背景と名作における研究も盛んでいる。これは本稿の研究方向に理論支持を提供した。
「漱石の文学作品は、漢文学における道徳観念と西洋文学における近代的な理性の影響を受けた。夏目漱石の『夢十夜』は、理想、運命、歴史、愛、芸術などの人生のテーマへの思考を含む。このような思考は夢の無意識の世界まで届け、きわめて不思議である。魯迅の『野草』と同列に論ずることもできる」 と肖書文は思っている。それゆえ、中国において名作ではない『夢十夜』にも研究価値がある。
「第一夜は『乐而不淫 哀而不伤』という美しい恋の絵巻を読者に捧げる。永遠の別れに直面している男と女は冷静な姿をしている。ここで西洋の熾烈な情愛と未練は見られない。逆に、冷酷に近くオリエンタルな『達観』は浮き出した。読者に見せたのは怒涛のような誓いではなく、沈黙でも美しい別れのである第一夜の源は。儒教の美学から見つかった」 と孫樹林は思っている。第一夜における中国古典美学のイメージが見つかれるとはいえ、数か所の『荘子』とに似ている段落についての分析を略してはいかない。この数か所で表現した「物化」「無我」の観点は物欲を批判すると思われる。これは漱石の晩年思想である「則天去私」とつながりがある。第一夜の解読について、高鵬飛、李亜男は、「もし女性を日本の優良な伝統の文化と比喩し、男性を当時の日本と比喩しては、ぴったりだと思われる。当時の日本人は、その一番純粋で美しい伝統文化を忘れてしまった。まるで健康で美しい人が生き埋められるようである」 と思っている。これは筆者の最初の考え方と重なっているが、根拠のない主観的な推測なものだと思われるので、慎重に考慮したいと思う。佐々木英昭は、漱石の作品『文学論』で男女の愛を文明開化と比喩すると指摘した 。これは第一夜の解読に役に立つかもしれない。「伝統文明の幻滅という時代背景と繋がってみれば、『夢十夜』に託した期待は、伝統文明の復活にほかない。『夢十夜』のいろいろな期待は、たいてい外れになった。最初の夢である第一夜の夢しかは実現しなかった。この夢は漱石の百年の期待に託している。」 と彭芃は思っている。以上により、第一夜は漱石の隠喩を含むという観点は認められている。文献综述
第四夜について、高山宏は「第四夜の部屋の空間配置と童顔老人のイメージから見れば、爛柯説話を思わせた。女将(神)と童顔老人と後文に出た瓢箪は壺中の天地を暗示した。物体の色と形の描写について、色のほうは黄、白、赤、黒、靑がちょうど五行の色である。形では、「五輪」に対応した。第四夜では、前半の閉鎖空間から後半の明るい空間へと移行し、「桃源郷」を連想させた。」 と指摘した。「爛柯」「桃源郷」はいずれも异境に入って世の中の時間の流れを忘却するという物語であり、第四夜の「忘我」「素朴」をさらに証明した。阿部昭は「誰よりもまず、漱石その人が内と外とから追われる人間であった。旧時代の重荷を背負いつつも、新しい教養の先頭にいた知識人の一人として、西洋という異質の文化の吸収に追われざるを得なかった」 と思っている。