だから、日本語の学習者にとって、それを重視しなければならないだろう。论文网
日本では日本語が事実上の国語とされてきたが、アスペクトは工藤真由美による研究が知られているものの言語学において長らく研究対象とはされてこなかった分野である。「~ている」と「~てある」の意味の違いを考えることは、日本語の言語感覚を磨くのに役立つとする見解もある。
本文は「~ている」と「~てある」の意味、用法、相違点などの側面から、「~ている」と「~てある」という二つのことを述べる。日常の勉強する時、日本人とコミュニケーションするとき、よく「~ている」と「~てある」を使い間違える。
先行研究を踏まえながら、日本語のアスペクトの主なもの、「~ている」と「~てある」について参考書や論文や工具本などを分析し、比較する。
それに、重点をつかみ、自分なりに努め、「~ている」と「~てある」のふたつの区別はっきりと説明することも、論文の目的である。
2、先行研究
「~ている」と「~てある」の違いについての質問はよく学習者から出ます。こうした質問に答えるとき、日本語教育の参考書を読まれることも一つの方法ですが、まず、自分でどう使い分けているか考えてみるといいと思います。そこは母語話者の強みで、使い分けはできるのですから、考える習慣がつくとコツのようなものが身について、ほかの問題についての説明もだんだんできるようになるのではないだろうか。
このような「ある」「いる」の差異は,「存在」の対象が無生物(無情のもの)か生物(有情のもの)かに拠って決定されると説明されるのが従来である。
日本語の中で「している」と「してある」は存在表現をあらわす。他言語の存在表現と比較してみると浮き彫りとなる。例えば,中国語との対照は次のような違いの見えを提示する。
椅子の上に本がある。
椅子の上に猫がいる。
椅子上有本书。
椅子上有只猫。
日本語では(A)(B)にあるように,「ある「いる」で表される存在表現が,中国語では(A)(B)にあるように同一の表現である “有”で表される。
寺村(1982)では,「ある」「いる」の分類をまとめると以下のようである。
①出来事の発生。文献综述
②物理的存在(あるとき,あるものがある空間を占めて存在する)。
③所有,所属的存在。
④部分集合,または種類の存在。
高橋(1969)では、「~てある」の意味は三種類分類する。
目を見えるような形での状態をあらわす。
放任の状態をあらわす。
準備のできた状態をあらわす。
副島(2007)では、意識にかかわりない静的存在を客観的にあらわす場合には「ある」を使うという結論がある。
「~ている」は自動詞と、「~てある」は他動詞と結び付きます。両者は意味的に重なる部分がありますが、話し手の注目点が異なります。
「~ている」は自他動詞いずれにもつくことができるのに対し、「~てある」は基本的には他動詞にしかつくことができません。このような「~てある」は「ページの端を折ってある」のように動詞の表す行為の結果として目的語が被る位置変化や状態変化を表します。