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    可能表現とは物事の実現可能を表す表現である。一般的には、可能の意を論ずる場合、動作主の意図や動作の実現を可能の意を規定する基準とする。物事の実現は有情物の希望や努力と結びつける。

    (1)僕は沖縄にもう帰れない。(南城秀夫『リュウキュウ青年のアイビー留学記』)

    (2)彼は先天的に手と足が極端的に短い人だ。それにもかかわらず、彼は小学校のとき泳げるようになり、飛び込み台から飛び込めるようになった。(竹内宏『路地裹の「名老」学』)

    例1、2は意志動詞の可能表現である。意志動詞の可能表現は可能形「~レル・ラレル」、「~コトガデキル」などの可能標識で表すことができる。

    (3)実際に、死体を自分の家で棺桶に入れてみれば、だんだん固くなるし、最初は温かいけど冷たくなるし、口があいたままになっちゃうのを閉めようと思ってもなかなか閉まらないことがわかる。(養老孟司『バカの壁』)

    (4)「ところが、いきなりドアがバタンと閉って、開けようとしても開かない。そしたら-」(赤川次郎『三毛猫ホームズの騒霊騒動』)

    例3、4は非意志動詞の可能表現である。寺村(1982)は日本語における可能形の中心的な意を「何々しようとすることに対してそれを妨げるものがない」とし、「可能態をとることのできる動詞は意志的な動作を表すもの([+意志])でなければならない」と述べている。「閉まる」「開く」は意志性がない自動詞のため、可能形「~レル・ラレル」で可能を表すことができず、可能を表すとき、自動詞の終止形しか用いられない。

    意志動詞とも非意志動詞ともなる自動詞は意志性のある場合、可能標識で可能を表すことができる。意志性のない場合、可能形「~レル・ラレル」で可能を表すことができない。

    2.2有対自動詞の無標識可能表現

    本稿では、「肩が痛くて、腕が上がらない」「いくら押しても、ドアが開かない」のような、一定の状況において、共時的に、可能の標識を用いず自動詞だけで可能の意を表すことができる表現を無標識可能表現と呼ぶ。有対自動詞の無標識可能表現は可能表現の一種類であることが姚艶玲(2005)、呂雷寧(2007)、孫穎(2011)、黄欣(2013)によって明らかにされていた。可能を表すとき、意志性のない自動詞は無標識可能表現しか用いられない。

    張(2002)は無標識で可能の意を表す自動詞表現を「結果可能表現」とした。「結果可能表現」は、動作主の動作がなされた後、動作主に意図された出来事が結果的に動作主の思い通りに実現することができるかどうかを表すものである。

    (5)膠原病の諸症状と薬の副作用とのダブルで襲いかかってくる、これはものすごい病気です。ぼくはこの世でもっとも恐ろしい病気だと思ってます。ガンの人はガンを切れば治る。この病気は切っても切っても治らない。(宮本美智子『カラダ革命の本』)

    (6)広介の声も室内の騒ぎに阻まれて、一度では伝わらない。(堀田あけみ『想い出にならない』)

    (7)逆にいえば、設備投資をかなり大幅に増加させても、設備ストックの伸び率はなかなか高まらないことになる。(『経済白書』)

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