本論文は、芥川龍之介の「羅生門」と『今昔物語集』との比較を通じて、作品の背景を中心として、映画、国語教材としての「羅生門」も作品分析に加え、「羅生門」のもつ作品としての明るさを明らかにしたい。
2、先行研究
芥川の初期作品である「羅生門」は、1915(大正4年)11月、雑誌『帝国文学』に発表された。本人は自信を持って発表した多少得意の作品であったようであるが、発表当時は完全に黙殺された。しかし、この作品は芥川の資質と可能性の最初の具現であり、歴史小説の方法と形をさだめた最初の作品であると評価されている。
「羅生門」をめぐる解読および研究は数多くある。昭和から現在まで、多くの研究者、たとえば、浅野洋、海老井英次、菊地弘、長野甞一、三好行雄、関口安義、奥野政元らが、次々に各自の『羅生門』論を発表している。また、志村有弘『芥川龍之介「羅生門」作品論集成』(1995)、同編の『芥川龍之介「羅生門」作品論集成』(2000)、浅野洋『芥川龍之介作品論集成第1 巻羅生門―今昔物語の世界』(2000)などの作品論集成が発行されている。文献综述
しかし、従来の「羅生門」に対する研究は主に善悪観とエゴイズムが主流であった。渡辺(1965) は、この作品に登場する人物たちを通じて、芥川は「人間のエゴイズムの悪循環」、「人間のエゴイズムの低知れぬ深さをまざまざと示したかったから」と述べている。三好(1976)も下人の心理と行動を克明に分析し、芥川が「羅生門」で描いて見せたのは、「地上的な、あるいは日常的な救済をすべて絶たれた存在悪の形である」と論じた。海老井(1988) は「『羅生門』の初めにおける下人、主家から暇を出されたあの彼との間に一つの円環が閉じられることになった。したがって、この一文には、下人の救済の試みの失敗という、「偸盗」後の芥川の暗い想念が込められており、その苦渋の表情が投影している。そうしてこの「誰も知らない」という人間の態様は、誰にも理解されない芸術家の孤立のあり様に続いていく」と述べている。
ところが、そういう暗い作品の中には、プラスの一面があるのも事実である。近年、関口(2007) の研究をはじめとして、「羅生門」への積極的な評価が次々にあげられた。奥野(1993) の研究は執筆時の芥川の行動、心理を丹念に追っており、作品の中の老婆と発狂した実母との比較を論じている。関口の論説(1992) は現在、あらゆる角度から「羅生門」を分析し、解説、批評を試みた、最も詳細な研究書である。下人の素性や過去を推理し、登場人物の心理や行動の分析は細緻であり、教材の面からも懇切に論を展開している。
3、『今昔物語集』との比較
「羅生門」は『今昔物語集』に材をとっている。本朝世俗部巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語十八」を基に、巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部加える形で書かれた作品である。この小説は、発表当時、完全に黙殺された。しかし、同じく『今昔物語集』に題材を得た「鼻」が夏目漱石に激賞され、「材料が非常に新しいのが眼につきます」(大正五、二、十九付、芥川龍之介宛)という一言によって多くの人々に注目されるようになったのである。
芥川龍之介は『今昔物語集』を発掘し、その文学性を追求し、その面白さやなまなましい野生の美について述べた「今昔物語鑑賞」は「今昔の系譜論を展開させるべき契機を含んでいる」ものとして、『今昔物語集』研究史の上でも高く評価されている。発表当初の評価は高くなかったが、「羅生門」は芥川龍之介の資質と可能性の最初の具現であり、歴史小説の方法を確立した記念すべき作品である。来,自,优.尔:论;文*网www.youerw.com +QQ752018766-