2 両国の老齢化の概況
2。1 日本の場合
日本の高齢化の発展によって、五つの段階に分ける。
第一、 1920-1935—— 逆な老齢化。日本は1920年に老年人口は総人口の5。26%を占め、1935年に老年人口が322。5万になったが、総じてみると、確かに4。66%に下がった。同時に、この時期、赤ん坊の出生率は1920年から1935年まで、比重は36。48%から36。89%に上がり、その一方で、死亡率は主に低年齢層に集中し、老年人口の死亡率は確かに比較的緩んで、1920年から1935までの15年間に、日本の0~4歳の死亡率は69。4%から40。7%まで下がり、同時期の65~69の老年人口もただ16。69%だけ下がった。つまり人口の出生率は下がったが、かえって人口の逆老齢化を引き起こしたということだ。
第二、 1935-1955——初歩的な老齢化。1935年に老年人口は総人口を占めた比重は4。66%となり、1955年に比重は5。32%に上がった。少年人口の数量は1935年から1955まで425。3万人増加したが、1947から1949までの3年に出産ラッシュが現れ、1950年以降、人口の出生率が着実に下がり始めると同時に、死亡率も下がった。人口出生率と死亡率の二つの下落は、人口の死亡率の変化を引き起こした。しかしこの時期は、特に老年人口の比重の変化からみると、高齢化の社会は次第に登場ていたということがわかった。
第三、 1955—1970----底部の老齢化。この時期日本の出生率は引き続き下がり、19。4%から1970年の18。8%となった。少年人口の数量は1955年の2979。82万から1970年の2842。35万まで下落し、老年人口の数量はかえって474。73万から733。1万まで上がった。老年人口の絶対的な増加が少年人口の減少と相まって、更に老年人口の比重の変化を招いた。この過程では、少年人口の主導的な役割が弱くなった。この変化は、人口構造のピラミッドの底に置いたことで、「底部の老齢化」と言われるわけだ。来,自.优;尔:论[文|网www.youerw.com +QQ752018766-
第四、 1970—1980——てっぺんの老齢化。この時期の日本は、経済水準と国民の生活水準の向上とともに、教育水準も更に高まったが、女性の出産のレベルは顕著に下落し、人口は低い出生率、低い死亡率および低い成長率の段階に入った。この時期には、経済の成長に従い、医療施設の進歩および老年人口の平均寿命の延長に加わって、死亡率が大幅に下がった。老年人口は絶対的な増加を実現し、人口構造のピラミッドのトップに置いたことで、「トップの老齢化」と言われたわけだ。