例1:我会说日语。 私は日本語を話すことができる。
例2:我能说日语。 私は日本語を話すことができる。
例3:我不会吸烟。 私はたばこを吸えません。
例4:我不能吸烟。 私はたばこを吸うことができない(健康のために)。
例文のように、「会」と「能」は日本語で表現したとき、訳文の可能表現が使い分けている。日本語学習者にとって「会」と「能」が文脈によって正確に翻訳することは大切であると思う。
今まで両言語における可能表現に関わる研究はさまざまな立場から進められてきた。中国語の分析だろうが、日本語の翻訳だろうが、研究の内容はよく単語一つである。「会」と「能」を結び付けて対照研究の視点から両言語における可能表現についての研究は極めて少ない。本稿はこれらの問題について、研究を試みたいと思う。
1.2先行研究
本節では、中国語の「会」と「能」に関する先行研究を整理していこうと思う。
1.2.1中国語の“会”と“能”に関する先行研究
「会」の意を明確にするために、呂叔湘は「会」の意を“表示懂得怎样做或有能力做某事”(どうすればいいかわかる、または、何かをする能力を持っている)“善于做某事”(何かが上手である)と“有可能”(可能性がある)という三つに分類した。
鲁晓琨は呂叔湘の分類に基づいて、「会」の意を「会1」と「会2」に分けた。「会 1」は“施事的本领”(何かをする能力を持っている、または高い)という意で、すなわち、呂叔湘の“表示懂得怎样做或有能力做某事”(どうすればいいかわかる、または、何かをする能力を持っている)と“善于做某事”(何かが上手である)の二つの意を「会 1」という一つの種類に入れた。一方、「会 2」は“主观推测某种情况出现或存在的必然性”(何事かが発生するまたは何かが存在する必然性)という意を表すと述べていた。それに、「会 1」の意として使われると、「很」や「特别」、「真」、「最」、「这么」など程度を表す副詞と共起することができると説明を加えた。
蒋绍愚では、「会」は最初に動詞として使われ、“知晓”(「知っている」)の意を表していたようである。そして、文法化により、助動詞としての用法が発展して、「能力を持っている」という意が現われてきた。次に、助動詞としての用法はますます多くの人に使われていき、「十分能力を持っている」、すなわち「能力が高い」という意に拡張されていた。この場合の「会」は既に「動詞(句)」と共起することができた。その後、この「能力」を示す「会」の意がメタファーにより、「可能性がある」という意に拡張されていたという。
高弥守彦は、中国語の能願動詞「能」は、出来事に対する主体の「現在能力」を表すのがプロトタイプ的な意であり、出来事と条件との関係により、バリエーション的ないくつかの用法から派生するが、「現在能力」を中心にして、能力の顕在化と能力の潜在化に分け、さらに、顕在化の能力は評価、回復後、分量、到達、用途の能力に分け、潜在化の能力は可能性、環境、情理に分けた。なお、「不能」は条件と言語環境とにより、不可能と禁止を表すと述べた。
劉少東は、「能」は「主観である能力がある」、「ある客観的な条件がある」、「ある用途がある」という三点で日本語の可能表現の表現形式とは完全に対応していることがある。この三点は日本語の可能表現の表現形式の中で「主体的な内在能力」と「条件可能」と「属性可能」を表している。しかし、「ある客観的な条件がある」の意は自然と社会条件から主体は意識的なことを実現する可能性だ。非意識的動詞だったなら、日本語の可能表現で表すことができない。「能」は「主観である能力がある」、「ある客観的な条件がある」、「ある用途がある」という三点のうえで、四点もある。「あることが上手だ」、「将来にすることができる」、「情理で許可する」、「許可・禁止」。
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