日本におけば、最も全面的なのは小栗朝子の『島崎藤村作「家」の研究』 である。「屋内の光景」に限定した筆法のため、家族制度と個人の態度が客観的に描写された。文の中に家の曖昧さ、不徹底さ、限界があるものを認めた。「『家』はまさに「継ぐ」ということを作者が自覚し、父との血縁に、自分の源を求める…自然主義文学として特徴づけられる遺伝性の問題も暗示的表現にとまり」 。遺伝説、中国の研究者に触れられたことない分野も唱えた。
この文は主にいままでの研究を勉強して、両方も含めて、全面的に封建的な家族の衰えに関することを総括することである。ローマは一日にして成らず。家族の衰えも、不徹底的な衰えも、発展途上の一部だと思う。封建的な家族を潰す要因を提出するばかりでなく、明治後封建家族の形式を守ろうとする様々な政策、及び腕を振った政府も触れる。
1.3 研究意義
よく考えれば、観念的には、包み込んでいた封建的な家族から逃れると望みながら、その現実に存在している困難、それとも家族への惜しい気持ちだから、我慢な態度を持って、生活を過ごした主人公の三吉も封建的な社会環境の犠牲品だった。同時代の明治民法も、家制度を法律的に定めた故に、家によって家族を最大限に尊重しつつになる。その面で、封建的な家族が人を壊す罪がある。衰えることも時代の潮に従うことだ。しかし、封建式な家族が衰えてきたが、消えていない。その存在しつつける現状がよいか、悪いか、研究してみる。
屋内の現象を分析し、研究するのは、物事の発生した原因、過程、結果と影響をいちいち詳しくあげるということである。本文なら、島崎藤村の『家』に描いた二つの家庭を例に、屋内に発生した様々些細なことを通じて、封建的な家族の衰えの過程や原因などを示す。結論として、「屋外はまだ暗かった」 。封建家族へ反抗するとともに、封建家族の形式はまだ社会各面に残っている。細やかな生活で、封建的な現象をあげる。また、弁証法の面で、今の時代において、封建式の大家族から流れてきた伝統、あるいは生活習慣の優位を説明してあげる