しかし、大江の作品における「森林文化」についての先行研究は日本にも中国にもある。たとえば、伊豆理彦が『万延元年のフットボール』の中で「森」は一種の時間的、空間的な限界のない宇宙空間であると述べている。[10]渡辺広士の『大江健三郎』と黒古一夫の「大江健三郎論――森の思想と生き方の原理」の中にも森についての研究がある。『大江健三郎」という本の中で大江は森を都市文明、現代、人工の対立面において,「森」が土着的文化、歴史、自然を象徴する符号になって、抽象化されるものだと指摘している。[10]黒古一夫が「森の思想」は大江の反核思想の基底であると述べている。中国の許金龍は「森から世界へ」(『世界文化』95。1)の中で、『万延元年のフットボール』における森は核時代の恐怖と不安のシンボルだと考えている。[10]曹魏が論文の中で森は大江がずっと求めるユートピアの理想世界なのであると述べている。楊月枝は森に生まれた大江が森に気になって、森を舞台としての小説の中に日本伝統文学の想像力と日本神話を加えることを通して、森の神話と伝説の中に含まれた独特な宇宙観と死生観を表現すると述べている。