2 『坊っちゃん』における社会への批判
2。1 明治教育に対する批判
『坊ちゃん』は本々主人公の一ヶ月間ほどの教育経歴だから、教育界を討伐する文章といっても言いすぎではない。漱石は現実を回避する傾向があるので、作品の批判力が不足だと言われるが、『三四郎』の前に書いた作品はまだそういう傾向は著しくないと思う。反って『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』という作品は痛快的に社会の闇や人の虚偽を風刺した。
前述のように、当時の教育制度は天皇の統治を固めるための封建的な存在である。学校の人々は忠君愛国の思想を教え込み、生徒がいたずらをする時教師の責任ばかり追及し、上下結んで正直な教師を迫害するなどでたらめなことばかりする。その不正な雰囲気は漱石に強く批判された。文献综述
うらなりのような教師は麻痺したまま規則に従うインテリアの縮図と言えるだろう。彼の遭遇は人々にどんなに努力して過ちに気をつけても利益衝突の穴に落ちる可能性があり、他人に排斥される可能性があるという残酷な現実を伝えた。坊っちゃんと山嵐は赤シャツと野だいこに「鉄拳制裁」を与えて東京に帰った。彼らは裏表のある世界で生存できなくて逃げたという見方がある。しかし、悪勢力を嫌って勇敢に抗争する点からみれば彼らは勝ったと思う。それは漱石が主人公を借りて悪勢力を直面して挑戦する証ではないか。二人は夜五時まで待っていても赤シャツたちは警察などを呼ばなかった。『吾輩は猫である』の中の苦沙彌は心から成金などを恨んでも文句を言うぐらいに止まり、『坊っちゃん』はさらに進んだだろう。また、作者はなぜそのような結局を設定するのか。一人、二人の個人の力でどうしても社会の体制や不良な風紀を改善できないことは言うまでもないから、そういう結局は現実に符合している。だから現実主義の色彩は明らかである。