「縮み志向」の例は他にも数多く見られる。ユーラシア文化の丸い団扇を日本人は扇子という「小型化」に成功し、逆輸出している。ステッキのような長い傘を、折りたたみ傘に「小型化」同様に輸出している。世界最小のオートバイを作り、大型設備を要するステレオをウォークマンに「小型化」している。盆栽などいう文化も自然の「小型化」であり、4畳半の茶室、テーブルの料理全体を小さな箱に詰め、幕の内弁当を作った。飯を縮めてオニギリを作り、長い文章を縮めて俳句の世界を作った。源'自-优尔;文,论`文'网]www.youerw.com
要するに、日本人の縮み志向の表現は日本人の生活の随所に見えるのである。ですから、縮み志向は日本人の生活を貫いているといっても過言ではない。
第三章庭にあらわれた縮み志向
3.1庭文化の生まれ
日本庭園は歴史が長く、飛鳥時代から造られてきたのである。『日本書紀』によると、推古天皇二0年(612年)百済の帰化人である路子工が皇居南庭石上の池畔に須弥山と呉橋(屋根、欄干付きの橋)を築いたとされる。また620年ごろ蘇我馬子が邸宅敷地に方形の池を設け、このために「嶋大臣」と呼ばれ、この庭園が珍しく、評判になっていたという記録がある。それらは日本の最初の庭園だと言われている。それから、貴族文化が盛んな平安時代、禅宗が隆盛である鎌倉時代と室町時代、戦乱の安土桃山時代、社会が安定した江戸時代を経て、日本庭園の様式もたえず変遷していて、次第に日本独特の建築様式になったのである。