この三つの作品の共通点は、主人公は全員武士であり、しかし有名な上級武士ではなく、名も無く地位も無い貧乏な下級武士だった。どうしてそんな無名の主人公の作品が大ヒットしたのか。やはりそういう作品は、海外の観客が興味を持つ内容があるのではないだろうか。「下級武士」のキャラクターは庶民と比べて、「武士」と言う名以外、実にあまり変わらない人たちである。一部の下級武士は普通の暮らしさえできなかった状態で、社会の最下級である。こんなイメージに基づき創ったキャラクターも悲惨な生活でもがいた話は観客から見ると、生活スタイルも分からなかったキャラクターの話より共感を覚えられるだろう。
2009年度滝田洋二郎監督の「おくりびと」は第81回アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。現代日本には、武士はもう存在しない。だが、一般の日本人には、今もなお武士の精神が受け継がれている。明治維新から時代が変わり、「武士」と言う職業は次第に消えていった。しかし、その精神は変わらなかったのである。多くの庶民は、下級武士のように、社会の最下級で目立たない役割をしており、名も無く、地位もない。だが、下級武士の話と同じで、こういう一般人の話は相変わらず人々に最も受け入れられたのである。よって、日本映画では、繰り返し名も無きごく普通の生活を送る主人公たちが描かれている。このような作品は外国人ならば、日本と日本人を最も認識できるものとも言えよう。これは日本にとって、今の新たな文化の輸出に非常に効果的な手段ではないだろうか。文献综述
2. 武士キャラの庶民化
武士と言えば、次のような言葉がある。「花は桜、人は武士」という言葉である。広辞苑には、「花の中で桜が最もすぐれているように、人の中では武士がすぐれている」と説明されている。日本の歴史の中で、特に江戸時代、武士の権力が一般人より高く、国を治めるのは武士であった。歴史から見ると、武士はかつて身分が高い人たちだった。しかし、武士の中にも身分制度がある。地位が最も高い幕政を行う上級武士から、貧乏で仕事もなく、生活も厳しい下級武士まで、様々な人々によって構成されていた。日本には武士に関する映画が最も多いとも言えるだろう。しかし、海外で最も受け入れられたのは、戦国大名や歴史に名を残し有名な上級武士ではない。逆に、黒澤明などの有名な監督の名作は大体下級武士の話だった。
庶民と言えば、地位がない社会の下級の人々である。逆に下級武士は、身分制度がある限り、いくら貧乏だとしても庶民と比べればより高い社会的地位にある。では、なぜこの見た目で何の関係もない二つの身分が映画で次第に融合していったのか。二つの身分の共通点はどこにあるのか。本論では、大ヒットした武士映画から、代表として三つの映画を選んだ。
この三つの映画で表現された武士の生き方と庶民のつながりを対象として考察を行っていきたい。
2.1「座頭市」北野武——日本人の矛盾の表れ
北野武の「座頭市」には、武士の両面、つまり人の善と悪が見えると思う。賭場とリベンジの話を中心としたストーリーである。浪人の服部と主人公の座頭市の生き方は、それぞれ全く違うものであったが、それぞれの選んだ道にはそれぞれの矛盾があった。