1。3 研究意義
要するに、作品の主人公は夏目漱石が自身の経歴と当時の社会状況を基づいて書くのであると大部分の研究者はそう考えていて、筆者も賛成している。
『坊っちゃん』は『吾輩は猫である』とともに、漱石の作品中最も人気のある作品で、作品集の中にも最も頻繁に取り入れられていて、今までの研究は多くの側面から入るのである。また、漱石本人は1895年4月から一年ほど旧制松山中学校に勤務した経験である。そのため、多くの読者が、この小説の主人公と作者たる漱石を同一視する傾向にある。そして、『坊っちゃん』についての研究の大部分は小説と現実にいる人物像と結びつけて考えるのが、作品の基調からの研究はあまりないのである。筆者から見れば、文学作品が成り立つため、その中の人物分析は当然重要だが、もう一つの要素も重要で、それは作品の基調である。本論文は坊っちゃんの出身、また松山就職期間の経歴と作者自身の経歴とこの作品創作した時作者の心境からの角度で、この作品は本当に伝えたい基調は何かを分析していきたいことである。
2。家族に愛されなかった坊っちゃん
『坊っちゃん』冒頭の章節から主人公坊っちゃんと家族の関係が述べた。「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」 から、あまり家族に愛されなかった。そして、漱石の子供時代も家族からの愛情はだいぶ受けなかった。そう比較してみると、二人はとても似ている。文献综述
2。1 坊っちゃんの家族について
小説を読むと、坊っちゃんと家族の関係があまり良くなかったと見られるのである。無鉄砲だから、小学校の時学校の二階から飛び降りて、友達のまえ指を切って、となりの勘太郎と喧嘩してなど、この以外いたずらは大分やった。「おやじは些ともおれを可愛がってくれなかった。母は兄ばかり贔負にしていた」 、「見る度にこいつはどうせ碌なものにはならないと、おやじが云った。乱暴で乱暴で行く先が案じられると母が云った」 坊っちゃんは母親が死ぬ二三日前も宙返りをして、怪我をしたのである。母親が非常に怒って、「御前の様なものの顔は見たくない」 と云ったのである。
母親が死んだあと、父子三人で暮らしていたのである。兄とはもとのように仲が良くなくて、父親からも愛情を受けず、一度勘当するとも言いだしたのである。それからの五六年間は常に父親に叱られて、兄と喧嘩したのである。第六年目、父親も亡くなったのである。兄も仕事の原因で、家を売って財産を片付けると云いだしたのである。坊っちゃんは六百円だけもらたのである。そして、兄は九州へ赴任に行って以来、会ったことはない。
家族はこのように散り散り砕いてしまったのである。坊っちゃんはこの家族の中で愛情を受けないまま、生まれ育ったのである。
2。2 漱石の家族について
漱石は母親が子沢山の上に高齢で生まれた末っ子である。当時は高齢で出産したことから「面目ない」と恥じたといい、漱石は望まれない子として生まれたと言える。ちょうど当時生家は没落しつつあったのか、生後すぐに里子に出されるが、夜まで品物のとなりに並んで寝ていたのである。この漱石を見た姉が気の毒に思って、実家へ連れ戻した。二歳の時は養子になって、養父母に育てられる。しかし、七歳の時、女性問題で家庭が不和になり、養母とともに一時生家に戻る。一時期漱石は実父母のことを祖父母と認めた。養父母の離婚により、九歳の時やっと生家に戻った。しかし、この幸せな日々は短くて、漱石は父兄との関係も悪くて、母親も彼の十五歳の時に亡くなった。十九歳を始め、漱石は家を出て、一人で生活したのである。そして、ずっと養父母の姓のままで、夏目という姓に変えったのは二十一歳だった。来*自-优=尔,论:文+网www.youerw.com