久米正雄は、私小説に対して賛同の意見を挙げた最初の評論家であり、その理論はそれ以降の私小説に深い影響を与えた。宇野浩二は、作家である武者小路実篤の作品への分析を通じて私小説の本質を研究し、私小説では日本作家や日本人にある生まれつきの心境小説の描写素質を体験していると考えた。そして、葛西藏善の作品を「東方・西洋文壇でも唯一の作品」と推奨し、私小説を「日本文壇の珍品」という地位まで評価した。一方、丸谷才一などの作家は、あまり私小説に賛同せず、ひどく批判して、最後まで見方を変えることはなかった。

私小説への理解は、日本文学を認識する効果的なルートであるだけでなく、日本伝統文化を理解する方法の一つでもある。そこで、本文は、『蒲団』を中心に、文学叙事の方法を重点におき、日本文学への影響など、日本私小説に対してさらなる分析をする。

2. 先行研究

2.1 日本私小说の現状

20世紀初め、明治維新以降、西洋自然主義が伝来し、私小説は日本の伝統的な文学と結合した結果、日本自然主義文学が本土化するようになった。この時、日本文学界で私小説が生まれ始めた。事実の真実性を重要視し、多くの自伝や記録体文学作品をを作る作家も現れ始めた。当時、これらの作品は「身元雑記小説」、「自叙小説」、「自己小説」、「モデル小説」、「尋常茶飯小説」、「告白小説」などと呼ばれていた。

1920年、著名作家である宇野浩二が『中央公論』9月号に掲載した「幸せな世間」という小説の序言には、「私」は即ち署名人だという観点を出し、そして、自伝性質類似な小説は私小説だと指摘した。これは現在まで最も早期の用例である。その後、加藤武雄は、近松秋江とそれぞれ「私小説」、「私の小説」で文壇上の創作現象を概括した。こうして、私小説という概念が、正式に文壇に現れてきた。

しかし、私小説という名称が本格的に文壇の注目を引いたのは、1921年のことである。その時、文学評論家である中村武和羅夫と久米正雄が、『新潮』の座談会ではじめてこの言葉を使ったためであった。1923年『新潮』誌のある記事によると、文壇では、作家の経験だけ記録した小説(即ち私小説)も厳格な文学だということがわかる。人物性格を描写したり、物語のストーリーを架空にしたりする作品を通俗小説と看做すとされている。こうして私小説は、文学形式として文壇に認められ、次第に日本純文学の主体となった。

私小説は、既に日本現代文学史において、客観的な存在として日本文化に融合し、日本人の審美意識、価値観、文化心理を表現している。研究者からは『私小説:20世紀日本文学の「神話」』、『日本私小説文学物語の研究』などの著書がなされており、更に私小説を理解する扉が開かれた。

現代の日本文化発展の脈絡を整理するにあたり、避けられない作家の一人が田山花袋である。私小説という文学形態は彼より開創され、日本文壇の主流となり、続いて文章の範囲が限定され、内面描写を主眼として、自己批判や自己解析の多い日本文学のスタイルを形成した。流派が異なるとしても、夏目漱石·島崎藤村·谷崎潤一郎·川端康成·三島由紀夫といった大作家は多少なりとも、私小説から影響を受けたとみられる。私小説が作り出されなければ、現在の日本文壇は現在とは違う風景になっていたに違いない。

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