人口減少と高齢化が進んでおり、さらには日本大都市の経済が急速に発展している状況で、若年層が続々大都市へ流出し、空き町家が多くなった。生活用の町家を観光用の店舗に改造するという方法が出てきた。観光用の店舗が多くなったが故に、緩やかな管理が行われた。時代の発展とともに、新たな問題が生み出される。それゆえ、まちづくりによって地域を活性化させ、生活空間と観光空間を融和させるための適切な方法も、時の流れとともに考える必要があるだろう。
ならまちにおけるまちづくりについての研究は現在でも行われつつある。奈良教育大学、奈良県立大学をはじめとしての教育機関、ならまちを拠点にしてのまちづくりセンター特定非営利活動法人のさんが俥座、もてなしのまちづくり推進委員会など、様々な組織が、ならまちの存続と繁栄に尽力している。
しかし、以上の学者や組織は、主に観光地としてのならまち、あるいは歴史的な町並みとしてのならまちについて研究している。研究の中心は当地の経済発展と古い町並みの保護である。生活空間としてのならまちについての研究はほとんどないとも言える。
そこで、小論ではならまちにおけるまちづくりと地域とのかかわりに焦点を当てる。特に、まちづくりによって生活空間と観光空間の融和、共存することを可能にした要因を見つけ、生活空間と観光空間の融和を着眼点にして、地元住民と観光客の視点からならまちにおけるまちづくりを見、まちづくりの良い点と不足を指摘し、新たな角度で、発展し続けられる個性豊かなまちづくりの方法を考える。日本、さらには中国各地の町並み保存地域が同様の課題に直面しているのは事実であり、ならまちの取り組みの調査研究によって他地域に対する多少参考になれると考える。
2。 研究の背景
2。1 ならまちの成り立ち文献综述
奈良の旧市街地とは、奈良県奈良市の中心部に位置し、元興寺の門前町を中心に作られ、数多くの町家が点在するエリアである。
その歴史は奈良時代(710年~)に平城京の外京として整備されたことに始まる。794年平安京遷都後、平城京はまたたくまに荒廃してしまったが、外京は国家鎮護の仏教寺院を多く有していたため、町を維持することができた。
その旧市街地の南側4分の1程度が、元興寺の旧境地を中心とした「ならまち」界隈である。平仮名で「ならまち」という場合は奈良市の都市景観形成地区を指すが、地域の人々は通称で「奈良町」と呼ぶことも多い。