2。弁当の起源と発展
2。1弁当の起源
弁当の本意は便利なものである。弁当は、中国南宋時代の俗語で、「好都合」「便利なこと」を意味する「便当」が語源である。「便当」が日本に入り、「便道」「弁道」などの漢字も当てられた。「弁えて(そなえて)用に当てる」ことから、「弁当」の字が当てられ、弁当箱の意味として使われたと考えられる。「飯桶(めしおけ)」を意味する「面桶(めんつう)」を漢音読みした「めんとう」から、「べんとう」になったとする説もあるが、歴史的仮名遣いは「べんたう」なので考え難い。容器自体は桃山時代から、弁当という言葉は鎌倉時代から見られ、それ以前は、器の中をいくつかに割ることから、「破子・破籠(わりご)」が使われていた。
弁当とは、所持できる食糧のうちに、食事に相当するものである。百科事典によると、弁当の起源は平安時代にまで遡ることができる。当時は頓食(とんじき)と呼ばれたおにぎりのほか、干し飯または糒(ほしいい)と呼ばれる、調理済みの乾燥米が携帯用の食料として利用されていた。干し飯を小さい容器に保存し、そのまま食べる、あるいわ水を入れてて煮て食べるものである。つまり、弁当は小さな容器に入れて携わえる、外出先で食べる食べ物であり、「便利な食べ物」と呼ばれている。
2。2弁当の歴史と発展论文网
日本の弁当は歴史が非常に長く、最初は平安時代に現れたのである。当時の弁当は「頓食」と呼ばれたおにぎりであった。安土桃山時代において、現代の弁当の原形が歴史の舞台に登場した。食材を現代でも見られる漆器の弁当箱に入れ、花見や茶会などの場合で食べるものであった。当時、弁当を持ち食べるのは優雅なことと見なされた。江戸時代初期になると、庶民たちが弁当の味が薄いため、味噌漬けの漬物を少し入れた野菜を増えた。江戸中期以後、庶民の生活水準が幅多く高まるために、弁当の種類もますます豊富になってきた。「花見弁当」、「観劇弁当」、「遊覧船弁当」と名付けられ、更に「遠足弁当」という呼び名も現れた。明治時代においては、学校では昼ご飯を提供しないので、先生と生徒は自分で弁当を持って行かざるえないことであった。明治18年に鉄道の駅や車内で弁当の販売が始まり、「駅弁」と呼ばれた。駅弁とは鉄道駅や列車内で販売されている鉄道旅客向け弁当のことで、1885年(明治18年)7月16日に栃木県の宇都宮駅で販売されたおにぎりが初例である。その後、明治政府は富国強兵を基本政策の一つとして推し進め、国民の体質改善のために、弁当の普及を推進した。大正時代になると、弁当を学校に持っていく慣例が廃止され、大きい社会問題になった。そして第一次世界大戦以降、食糧不足で東北地方へ転居する人が増え、庶民の所得差が拡大になり、弁当も貧富の差によってかなり違うようになった。昭和初期になると、弁当についてのマニュアルが大量に印刷され、栄養価値から料理の種類にかけてますます豊かになってきた。この時代にはマニュアルに関する本が多く出版されるようになり、栄養価を考え、弁当に入れるおかずのバリエーションも多彩になっていた。1970年代、駅弁は国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンもあって、鉄道で観光旅行に出かける人が増えると、各地の素材や郷土料理を活かしたもの、観光地にまつわる物など、より多様なものとなった。中小規模の企業で、自前の食堂を持たないところを対象に、弁当を配達する業者も一般的となった。またこの時代、ジャー式の保温弁当容器が開発され、販売された。これが普及したことによって、職場や学校に弁当を持参していく者たちも温かい弁当を食べられるようになった。しかし、この容器はサイズが大きいという欠点があり、とても鞄の中に収まるようなサイズではなかった。したがって、昼に温かい弁当を食べるためには、鞄以外にこの弁当容器を肩に提げて出掛けなければならなかった。また、落とすと容器の内部が破損してしまうという問題もあった。1970年代後半から1980年代にかけて、弁当は新たな市場にて登場した。1990年代、コンビニエンスストアが地方でも一般的に広がり、温かい弁当が一般化され、駅弁では化学反応を利用して加熱できるタイプのものも登場した。2003年以後、空港で売った「空弁」がブームになり、2005年以後、「キャラ弁」が流行となってきた。