この論文を書くために、家紋に関する資料と文献をたくさん調べたところ、主に家紋を通じて日本文化を見ると思う。本論文では、まず、家紋について、その概念と研究の範囲を簡単に説明した。その次に、家紋の歴史と種類を研究することを通じて、家紋の意、日本文化を発見する。それによって日本という国がより深く理解できる。同時に、日本が誇る美しい独自の文化である家紋を未来へ継承していく。
2 家紋について
家紋とは家と一族などが共有する、家系・家柄・地位・血統などを表すために、平安時代頃から使われてきた紋章である。紋章という呼称は近代になるもので、古くは〈家紋〉〈家の紋〉〈紋じるし〉〈定紋〉〈紋所〉などと称されていたが、このうち〈家紋〉は厳密に言えば武家の紋に用いた呼称である。
当時、文字の読み書きができない人が多いけど、苗字が読めなくても一目で見分ける家紋は、衣類や墓所、調度品、門扉などの日常生活に苗字の機能として多く受け入れられていた。だから、家紋を通じて自分がどの流れで来ているのかがわかる。(徳川なら葵の紋、武田なら菱紋、土岐氏なら桔梗紋)つまり、家紋とは日本人の「シンボルマーク」である。
諸外国にも紋章があるが、日本のように服に紋をつけることはない。欧州では騎士や王族の持つ紋章が知られるが、これは貴族のシンボルとして権威を示すために紋章を持つという意合いが強い。これほど一般庶民にまで紋章が広まったのは日本のみで、特に特権階級の専有物ではない。家紋は日本の特有の文化だと言える。
今、調査されているところで、日本で25000個余りの家紋が確認されている。家紋の図案から見ると、日本の家紋は世界一番多いであり、ヨーロッパでも日本の家紋に及ばない。でも、現在の日本では、一目で見分けられる家紋は日常冠婚葬祭やお墓参り以外で目にすることは少なくなった。それに、家紋の概念が薄くなっているのも事実である。ところが、家紋はその変体を借りて、受け継がされていく。同時に、長い歴史がある家紋のデザインの伝統は紋様と構図の上で現代紋章のデザインへの影響が疑いを挟む余地がない。
3 家紋の歴史
3.1家紋の起源
家紋は、現在約900年ほど前の平安時代後期に発生した。当時、貴族は外出するときに、主な交通手段としていた牛車を一か所に寄せて自分のは区別がつかない。そこで、牛車に印をつけて自他を見分ける。牛車を黒く塗って、その上に金色の図案を刻む。牛車に紋様をつけたのが始まりと言われた。「私の方がえらいんだから道を譲りなさい」という発想だったんでしょうか。これは家紋の原型である。この「車紋」ははやっているにつれて、自他を見分ける印にもなっていた。「車紋」は家紋の前身だと言える。そのあと、貴族はいつも流行している団扇、唐草、蝶、亀などの紋様から自分の気に入った紋様を選らび、装束、車、家具に飾っていた。一種の紋様を繰り返して使い、脈々伝わったため、一族の固有のシンボルと標識になった。同時に、一族の身分を明らかに示す機能を備えている。源'自:优尔`!论~文'网www.youerw.com
3.2家紋の変遷
鎌倉幕府の開府後、公家は武家に政権から遠ざけられて主役の座から下ろされた。武士階級が興って執権してくると、家紋の重要性は更に体現している。戦場で家紋に大きい啓発された武士が敵と方を区別するために、武具、旗、幡幕と甲冑に所属した武士集団の家紋を飾った。もとは貴族だけ持った家紋がサムライの中で普及し始める。鎌倉中期、鎌倉幕府の武士はほとんど自分の家紋を持ち、全国的に用いられるようになる。