参考文献 17
付録 19
1。 はじめに
庵功雄他(2001:166)では、「私」もしくは話し手側の人物が動作や移動物の受け手になっていて、かつ、恩恵的な出来事は、授受の補助動詞を用いて表さなければならないという。つまり、「~てもらう」は授受補助動詞の一つとして、常に話し手の視点から恩恵に対する感謝の気持ちを表している。だが、高橋(1975)では、「わたしはかみをきった」という例文が書かれた。そのままであると、自分で髪に「切る」という働きかけをしなかったのに、働きかけたのように、まるで美容師を無視するように表している。「わたし」の髪を切ったのは普通自分ではなく美容師である。ここで美容師が「わたし」の髪を切ったという出来事に「わたし」の感謝の気持ち、また美容師に対する尊敬を表すべきであると思う。こういうふうに考えると、「わたしは髪を切ってもらった」のではないだろうか。しかし、日本人に尋ねたところ、日常的な会話では、「髪を切ってもらった」ではなく、「髪をきったんだ」等の言い方をしているのが事実である。
そこで、疑問をもつのは、日本語にとって敬語が重要不可欠で、日本人がいつも他人に尊敬や感謝の気持ちを言い表しているのに、何故「髪を切った」という状況で「~てもらう」を使わないのかということである。来自优W尔Y论W文C网WWw.YoueRw.com 加QQ7520,18766
言うまでもなく、授受表現が日本語の一つの特徴である。「~てもらう」を含んだ授受補助動詞は今や文法化していて、どの外国人向けの教科書でも取り上げられており、重要な学習項目の一つである。だが、これらの授受補助動詞の習得は学習者に対して困難であることはよく指摘されている。その原因の一つとして、中崎(2006)は、これらの補助動詞は主観性が強いために第二言語話者にとっては理解されにくいという。「~てもらう」に関する先行文献からみると、益岡隆志(2001)高見健一・加藤鉱三(2003)等は授受動詞の受益を中心に論じた。外国語との対照研究も少なくないが、奥津敬一郎・徐昌華(1982)のように外国語での対応する表現を指摘してきた。管見の限り、外国語対照研究の中で、中国日本語学習者と日本語母語話者の「~てもらう」の使用上の違いの状況については、まだ明白に述べられていなく、その違いの状況を研究する余地があると考えられる。
そこで本研究は「~てもらう」という授受補助動詞を使った会話文を研究素材として、中国日本語学習者と日本語母語話者が「~てもらう」の使用についていかに違うのかを見つけたいと考える。更に、日本人が「~てもらう」を用いなくてもいいと思う状況(即ち、中国日本語学習者が普通使わないのに対し、日本人が使うという状況)を分類することを目的としたい。
2。 先行研究及びその問題点
2。1 「~てもらう」について
「~てもらう」はやりもらい動詞の一つで、日本語文法の重要な項目として、ほとんどの教科書や多くの論文に取り上げられている。ここでは、先行研究を通じて、「~てもらう」を概観し、以下のようにまとめる。
まず、庵功雄他(2001:166)では、「私」もしくは話し手側の人物が動作や移動物の受け手になっていて、かつ、恩恵的な出来事は、授受の補助動詞を用いて表さなければならないという。