従って、ここでは、中国映画が活躍し始める時代の1990年から2015年の25年間、中国映画に出た日本像の変遷を研究する。
2.2 1990年〜2005年 中国映画の日本像
1990年代に入ると、中国映画は国際の映画祭に進出し、国と国の間の交流が頻繁になった。だから1990年代から出てきた中国映画を中心にした先行研究が数多くある。本論文は、1990~2005年の15年間の先行研究を踏まえながら、直近十年間の日本像を分析したい。源-自/优尔+文,论`文'网]www.youerw.com
なお、1990~2005年の間、中国映画は日本像を一体どのように描いてきたのか、そして、そこに登場した日本人のイメージはどのようなものだったのであろう。
この時期の代表的な中国映画は、多くの文献にもよく言及される「秋菊の物語」(「秋菊打官司」、張芸謀監督、1992)、「さらば、わが愛」(「霸王別姫」、陳凱歌監督、1993)、「活きる」(「活着」、張芸謀監督、1994)、「あの子を探して」(「一个都不能少」、張芸謀監督、1997)、「初恋のきた道」(「我的父亲母亲」、張芸謀監督、1999)、「鬼が来た!」(「鬼子来了!」、姜文監督、2000)、「単騎、千里を走る」(「千里走单骑」、張芸謀監督、2004)等である。
これらの映画は各国の映画祭に進出し、高い評価を得て、海外の人々に深く印象を残した。その時期の日本像は、ほぼ日本人像として表現されている。例えば、「さらば、わが愛」(1993)には、芸術を愛する繊細さを持ちながら残酷な性格を持つ日本人がいるし、「鬼が来た!」(2000)には、皮肉的に描かれた「卑小な日本兵」がいる。
また、明治大学の林ひふみ(2012)には、様々な日本像をまとめられている。90年代に中国(台湾も香港も含める)から躍り出て国際映画祭を席巻した監督達の作品を日本観という角度から見直し、戦後世代の彼らが映画に映し出した戦争のトラウマを確認するとともに、21世紀に入り、後続世代の監督達がトラウマに対する癒しを映像化したプロセスをあわせて紹介した。林は、視点を変え、日本人を主役とする映画、癒す戦争のトラウマを描く映画、日本で実地撮影する映画、「荒唐無稽」な日本像を反映した映画などを分析した。
21世紀に入った後、張芸謀が監督した「単騎、千里を走る」(2004)は中国で上映された。日本人の俳優高倉健が主人公の役を演じるのは、中国映画史上では初めてである。そもそも日本人といったら、中国人の脳裏に、戦争中の「日本人」の記憶を呼び起こすのであった。しかし、この映画に出た日本人の主人公は漁師であり、中国の農民と同じように、突拍子もないことを言い出し、頑迷にであきらめないが、善良な日本人像である。
これまでの日本像は、ほとんど日本人像と言える。また歴史的な原因で、当時の中国人は日本についてのことをあまり知らなかった。そのせいで、中国映画に出た日本像も先入観等によって限られていた。
しかし、時代の進歩につれて、日本像もどのどん多様化してきた。