2.1 ドッキリの歴史
2.1.1 日本のドッキリ番組の歴史
日本語版のウィキペディアの中で日本のバラエティ番組の歴史についての説明は以下のようである。1969年に日本テレビで放送された番組「なんでもやりまショー」の1コーナー「どっきりカメラ」が日本におけるその元祖といわれている。その後、同コーナーは「元祖どっきりカメラ」として独立した番組となり人気を博した。同番組終了後は単発番組あるいはレギュラー番組内の単発企画として他局の番組でも頻繁に放送されるようになり、さまざまなドッキリの手法が考案された。ドッキリの普及によって近年は芸能人(特にお笑いタレント)側がドッキリに対して耐性があり、状況を察して警戒してしまう傾向にあるため、ドッキリは逆ドッキリや数週間や数か月と長期に渡って仕掛ける方式が増加している。
かつては一般人をターゲットにしたドッキリ番組もあったが、手法によっては自身のPRになる芸能人と異なり、一般人はターゲットにされれば一方的に全国に自分の恥を晒され、視聴者の笑い者にされる結果になるため、その場でターゲットを激怒させ、仕掛け人が殴打されるなど予想外の報復を受けたケースもある。
また、ターゲットの心情を著しく害した場合、名誉毀損罪や侮辱罪などで告訴され刑事事件になったり、損害賠償請求訴訟を起こされる恐れもある。また、ここ近年の日本では放送倫理の厳格化が進み、放送局や番組の運営上も世論による厳しい非難が予想され、番組の打ち切りや放送局経営陣が辞任または解任に追い込まれる危険性が予想されるから、市民に対しては後述のインタビュードッキリを除き、行われるケースはない。
タレントを相手にしたドッキリ企画にしても、これがきっかけとなって仕掛けられたタレントと企画を受けた所属事務所の関係が悪化してしまうケースもあるなど、芸能事務所側にとってのリスクも小さくないから、事務所側もこの種の企画に対して消極的になり、結果として、一部のお笑いタレントを例外とすれば行われることは少なくなっている。また、現在行われるものにしてもお笑いバラエティ番組が中心であり、ターゲットもお笑いタレントやバラエティで自らが笑いの対象にされることを許容している芸能人が大半であるため、果たしてターゲットを本気で驚かせるドッキリの企画なのか、それともドッキリ番組の体裁を利用したパロディーとして脚本の下で制作されている計算づくの企画なのか、判別の付かないような内容のものも多い。さらに言えば、ターゲットとしていわゆるリアクション芸人ばかりを並べるなど、ドッキリの体裁を利用して芸人のリアクションで笑わせるパロディーであることを事実上最初から明示しているような企画も珍しくない。源^自·优尔·文.论,文'网]www.youerw.com
2.1.2 中国のドッキリ番組の歴史
中国は日本と違い、バラエティー番組のスタートは遅いので、ドッキリ番組の歴史をまとめるのは難しい。1980年代に、中国大陸は外国のバラエティー番組をまねて、一応の成果を収めた。時代の発展につれて、番組の種類は多様化し、面白さも増えてきている。
江蘇衛星テレビの『非常週末』と遼寧衛星テレビの『新笑林』は中国のドッキのリ番組の初期の代表である。制作レベルであれ、番組のコンテンツであれ、日本と比べたら、中国はこの面では不足だと思う。しかし、時が経ち、情況が変わり、「2014年4月29日、高さ10メートルの飛び込み台からプールに飛び込む。子どもを連れて屋外でサバイバルを試みる。農村に行ってブタや牛を育てる…スターも昔のように楽な商売できなくなったようである。ここ10年の中国のバラエティー番組は、一般市民のコンテストによる「スター誕生時代」から、スター自らが参加する「リアリティー番組時代」へと変化してきている。