利佳子が「独立の人格と存在の価値を持ちながら、幸せを追う」ことは女性意識の表現であると言っても過言ではないだろう。なぜかというと、彼女が婚姻のプレッシャーには屈しなく、逆に自分の理想的な愛を探し始めたからである。彼自身が人として、特に女性の価値についての覚悟を持ち、男性社会においても、そこからの女性に対する伝統的な定義を敢然と拒否し、男性たる権力を質疑することは、女性意識の目覚めの表現の一つではないだろうか。